私が原宿に用事がある日、時間に余裕ができたことから、歴史ある明治神宮を訪れることにしました。
この訪問では、ただ漫然と神社を巡るのではなく、一箇所に意識を集中し、その深い物語を探求する旅にしようと心に決めました。
そこで、私が最初に目にしたのは、その壮大さで知られる明治神宮の第二大鳥居です。
鳥居の近くにある案内板、日本で最も大きな木造の鳥居であり、世界でも類を見ないこの鳥居は、遠く台湾から運ばれた檜で造られていますとありました。
台湾?この選択には何か特別な理由があるのではないかと、私の好奇心は掻き立てられました。
以前、台湾の企業で働いた経験がある私は、この大鳥居に込められた日本と台湾の絆の物語を掘り下げることにしました。
明治神宮の初代鳥居は1920年に建立されましたが、時の流れと共に老朽化が進み、1975年に二代目の鳥居が建て替えられることになります。この建て替えにあたり、大鳥居の材料の調達が大きな課題となりましたが、東京在住の木材商、川島康資氏が献木することを申し出ました。川島氏は、祖父の代から続く木材業が明治神宮の恩恵によるものと感じていました。
川島氏は台湾へと渡り、新高山連峰の丹大山一帯で最高品質の台湾檜を求めました。そして、振昌木材興業のオーナーである孫海氏と出会います。孫海氏は、川島氏の要望を聞き、この重要なプロジェクトを快く引き受けました。孫海氏は、以前から台湾の神社などにも材料を供給しており、深い関わりを持っていました。
その後、孫海氏は、車呈駅までの96kmの道のりを、2台のトラックを連結したトレーラーとブルドーザーを先頭に、狭い山道を通って丹大山から10本の巨大なヒノキを運び出しました。この壮絶な物語は、ドキュメンタリー番組で紹介され、多くの人々の心を打ちました。
3000メートル級の山奥から檜の大木を刈り出した台湾の人々の懸命の努力
台湾研究フォーラム会長、永山英樹氏によると、孫海氏は、伐採した樹木を供養するために丹大山に寺を建てたそうです。「木の命を大切にし、森を守る」という共通の価値観を持つ日本人と台湾人。この話を聞き、私は深い感動を覚えました。
焼畑、つまり、今だけ、金だけ、自分だけではない精神性を日本人と台湾人は共に持っていることに。
この旅は、単なる時間潰しではなく、異文化を理解し、過去と現在、そして未来をつなぐ素晴らしい機会となりました。
原宿の喧騒から一歩離れた場所にある明治神宮で、時間を超えた絆の物語を見つけることができたのです。
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