映画『35年目のラブレター』から見えた6次元時間感覚——時を超える愛と学びの物語
公開日: 2025年3月11日
プロローグ
映画『35年目のラブレター』を観て劇場を出たとき、胸の中に何か大きなものが残りました。笑福亭鶴瓶さん演じる西畑保さんと原田知世さん演じる皎子さんの35年に渡る愛の物語。それは単なる感動作以上のものを私に与えてくれたのです。
特に最近私が学んでいる「6次元時間感覚」という概念と、この映画が描き出す時間と愛の形が不思議なほど重なり合うことに気づき、深い考察へと導かれました。今日はそんな私の体験を皆さんと共有したいと思います。
『35年目のラブレター』という物語
まずは簡単に映画の概要をご紹介します(ネタバレにならない程度に)。
『35年目のラブレター』は、実在する西畑夫妻の実話をもとに制作された作品です。主人公の西畑保(笑福亭鶴瓶)は、過酷な幼少期を過ごし、文字の読み書きができないまま大人になりました。しかし、最愛の妻・皎子(原田知世)の支えを受けながら、定年退職を機に彼女への感謝の気持ちを伝えるため、ラブレターを書くことを決意します。
保は夜間中学に通い、一から文字を学び始めますが、その道のりは決して平坦ではありません。若き日の保と皎子を重岡大毅と上白石萌音がそれぞれ演じ、夫婦の出会いから長年にわたる絆を丁寧に描いています。
6次元時間感覚との共鳴
私が最近学んでいる「6次元時間感覚」という概念について少し説明させてください。
通常、私たちは時間を過去から現在、そして未来へと一方向に流れる「線」として認識しています。これは3-4次元的な時間感覚です。しかし、6次元の時間感覚では、時間軸が3本になり、時間が「空間的」に存在するという考え方です。
「5次元になると、時間軸がもう1本増えて、平面的になる。そして6次元になると、時間軸が3本になって、空間的になる。」
この考え方では、過去・現在・未来は同時に存在し、相互に影響し合うことが可能になります。つまり、過去は「固定されたもの」ではなく、現在の意識によって捉え方が変わり、それによって現実も変化していくのです。
映画に描かれる「空間としての時間」
この映画の中で、保さんと若き日の保さん、皎子さんと若き日の皎子さんの姿が交錯するシーンがいくつもあります。それは単なる回想シーンではなく、異なる時間軸が同一空間に重なっているように描かれていました。
特に印象的だったのは、若き日の二人の出会いのシーンと、年を重ねた二人の姿が微妙に重なり合うように描かれる場面です。そこには「過去と現在が同時に存在している」という6次元時間感覚の本質が見事に表現されていました。
夜間中学——過去を書き換える場所
映画の重要な舞台となる夜間中学。ここに集う人々はそれぞれの事情で学ぶ機会を逃してきた方々です。表面的には「失われた教育の機会を取り戻そうとしている」と捉えることもできますが、6次元時間感覚の視点から見ると、彼らは「過去の解釈を書き換えている」とも言えるのではないでしょうか。
「大学に行けなかったから、研究職に就けなかったという人は、過去に戻って意識上で大学に行ったように変えたら、それで大学に行ったことになるわけではないけれど、ただ「大学に行けなかったから、こんな仕事にしか就けなかった」という意識で生きている自分を変えることはできる。」
保さんが文字を学ぶ過程は、単に新しいスキルを習得しているのではなく、「文字が読めない自分」という過去から形成された自己認識を根本から変容させる旅なのです。それは「過去に学校に行けなかった」という固定観念から解放され、新しい意識で生きる可能性を示しています。
夜間中学の生徒たち一人ひとりの姿に、私は深い感動を覚えると同時に、「過去」という概念そのものを書き換えているように感じました。
「今」という広大な時空間
6次元時間感覚において、「今」という瞬間は特別な意味を持ちます。
「3−4次元の意識では、「今」は過去と未来の間にある、唯一自由な狭い空間のようなものでしかない。しかし、5−6次元になると、とたんに「今」というものが、あらゆる時間を有している、広大で自由な空間になるのだ。」
この映画で保さんが35年分の思いを込めてラブレターを書こうとする行為は、まさに「今」という瞬間にあらゆる時間を凝縮させる試みのように感じられました。35年という長い時間が一つの「今」に収束する——それは6次元時間感覚における「今」の広大さそのものです。
「あるべき姿」からの解放
保さんは「読み書きができないこと」に深い劣等感を抱えていました。それは「読み書きができるべき」という社会的な「あるべき姿」からくるものでしょう。しかし皎子さんはそんな保さんを「あるがまま」に受け入れ、愛し続けました。
これは6次元時間感覚における重要な概念と重なります:
「私たちは、3−4次元の直線的な時間軸で、今の状況を絶えず「これは過去にXXをしなかったからだ」とか「未来にはこうあるべきだ」とか「あるべき姿」と比べていて、今そのものを生きていないことが多い。」
この映画を通して、私自身も「こうあるべき」という思い込みから解放され、「今」という瞬間をそのまま受け入れて生きることの大切さを強く感じました。保さんと皎子さんの関係性は、まさに「今を生きる」ことの本質を教えてくれるものでした。
パラレルワールドとしての人生
この映画のタイトルは「35年目のラブレター」ですが、私にはむしろ35年という時間が一つの点に凝縮されているように感じられました。
6次元時間感覚では、私たちの人生には無数のパラレルワールドが存在するとされます。保さんと皎子さんの35年の物語も、一本の直線的な時間軸ではなく、無数の可能性が織りなす豊かな「時間の織物」として存在しているように思えました。
若い二人の出会いのシーンと、年を重ねた二人の姿が交差する瞬間、それは「パラレルワールドの交差点」のように感じられ、深い共感を覚えました。
愛という時間を超えた力
この映画が最も美しく描き出したのは、35年という時間を超えて存在し続ける「愛」の力です。
保さんと皎子さんの愛は、直線的な時間の中で35年間続いたというより、6次元的な「今」という広大な空間の中で、過去も未来も超えて常に存在し続けるものとして描かれています。
これは6次元時間感覚における「すべての時間は同時に存在している」という考え方と完全に一致します。愛は時間に縛られない、永遠の「今」の中に存在するものなのでしょう。
集合意識と現実創造
6次元時間感覚の学びの中で興味深いのは、「集合意識」が現実に影響を与えるという考え方です。
「こういう風に集合意識が変わってくると、現実も変わってくるはずだ。」
映画の中で、夜間中学の生徒たちが互いに影響し合い、励まし合う姿には、まさにこの「集合意識による現実創造」の一端を見る思いがしました。一人ひとりの「意識の変化」が寄り集まることで、新しい現実が生まれていく様子が美しく描かれていたと思います。
エピローグ——時間を超えた気づき
『35年目のラブレター』は単なる感動ストーリーを超えて、時間と存在の本質について深く考えさせてくれる哲学的な作品でした。6次元時間感覚という視点を通して見ると、この映画はさらに深く、多層的に心に響きます。
過去も未来も「今」の中にある。そして「今」という瞬間こそが、あらゆる可能性を秘めた広大な空間である——この映画と6次元時間感覚の学びが交差する地点に、私は新たな気づきを得ました。
もし機会があれば、ぜひこの映画を観て、あなた自身の「時間」と「愛」について考えてみてください。きっと新しい視点が開けるはずです。そして、もしこの記事があなたの心に何か新しい気づきをもたらしたなら、それは私にとって最大の喜びです。
この記事は筆者の個人的な映画体験と学びを基にしたものです。6次元時間感覚についての解釈は、筆者の理解に基づくものであり、様々な解釈があり得ることをご了承ください。
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